2008-10-05
拒食症
妻の躁が始まりました。9月の初めくらいからでしょうか。以前にも躁状態に陥ったときはあるのですが、長くは続きませんでした。その時期は必ず過活動で、Mixiを通じて友達とコンタクトをとったり、新しい友達を見つけたり、日記の更新も頻繁になります。その他は友達に会いに行ったり、家に招いたりが増え始めます。しんどい者同士が集まってお互いの辛さを語り合ったりしています。
今までの躁状態でしたら、過食も派手になり、それに加えて外遊びも増えるのでお金もかかります。本当に毎日々々「誰に会いに行く、○○子ちゃんと食事に行く」と言い、小遣いをねだって出かけていきます。月に数回なら小遣いを渡してもいいのですが、あまりにも数が増えるとおねだりに釘を刺します。
それに対して妻はすっかり凹んで黙り込んでしまうのですが、妻の言うとおりにお金を使うと月末まで生活費が持ちません。ただそれだけの事です。妻に意地悪したいのではありません。しかし、妻の凹んだ姿を見ていると、私が悪いことしたような気分になってきます。
妻の凹んだ姿を見るのが辛いのではなく、私が言われのない罪悪感を抱かされるのが嫌で、ついついお金を渡してしまう事があります。それでなくても現状、家賃と公共料金を払った残り全ては、妻に費やし、妻の口に入り吐瀉物はトイレに流れていきます。
今回の躁では過食が止んでいるのですが、それは今までにも数回ありました。過去の数回では結婚した時や引っ越した時など、外的環境の変化が妻をそうさせた時ばかりでした。今回は過食が止むと言ったような穏やかな状態ではありません。拒食症に陥ったかのようにも見えます。今回は外的な環境の変化はありませんし、何がきっかけか判りません。
今回もお金に関しては妻に言い聞かせ、強い目に釘を刺した事がありますが、それはむしろ妻が常々気にしているお金の事を殊更に説教したので、いつものように妻を凹ませただけでした。妻が自分の意志で過食をやめているのではなさそうです。過食したい気持ちが我慢できないほど大きくなったり、辛抱できる程度だったりするみたいです。
しかし時として私の目には、説教した私への当て付けで拒食によって私を困らせようとしているのか?友達と遊ぶお金のために過食をやめているのか?いつまでたっても無関心な私を本気で振り向かせる為に食を絶ったのか?などと妻の気持ちが汚く見えてなりません。
「食欲がなくて困ったもんだ。少しだけなら食べられるけど結局吐いちゃうし。」と妻本人が言っているように、食べたくても食べられないようでもあります。今までの妻は一時的にしろ拒食に陥った時はありましたが、本当に短い期間でしたし、今ほど食べない時期はありませんでした。
過食が止んだうえに、私がいないと食事を摂らずに野菜ジュースを飲んでいるだけと言います。私がいると一緒に食事をするのですが、ご飯とカロリーが高いものは口にしません。食事の後にはやはり吐くので一層やせてきました。今はたぶん30kgくらいだと思います。
ある本にシベリア抑留された捕虜の体型について、その特徴が書かれていたのですが、妻の体がその通りになっています。妻の嘔吐は胃洗浄に等しいくらい、大量の水を飲んで吐き出します。それを何度も繰り返すので、何も食べてないのと同じなのかもしれません。妻の体型が物語る病状は拒食症そのものです。たとえ吐かないとしても、今の食事量では基礎代謝に必要な量すら摂っていないでしょう。
妻の幼馴染じみで仲良しだったA子という友達の話になりますが、実は長年妻の善意をむさぼって、妻は都合のいいように利用されてきた事に気がついたと話してくれました。特にA子の結婚式で妻はスピーチをしたそうですが、その後のお礼も挨拶もなかったし、新婚旅行のお土産すら持ってこなかった。そもそもA子の結婚を祝う気などなく、スピーチも嫌々ながら引き受けたような節があったので、その後のA子の礼儀のなさが一層気に食わなかったようです。その事が妻の内に引っかかって思い出すたびに腹立たしくなるそうです。
結婚式の一件だけを聞くとA子の配慮のなさよりも、妻の恩着せがましさを感じるのですが、二人が幼い時から与える側は妻で、貰う側はA子だった関係が、結婚式の些細なことでも妻にとっては決定的な亀裂になったしまったようです。我慢の限界に来たのだろうと思います。
妻の携帯メモリーからA子の番号を消したと聞きました。それも今回の拒食と躁を起こした何かのきっかけになったようにも思えます。元来、妻は人を切り捨てる事ができない性格で、それ故に気苦労が人一倍多く、それが病気の原因にもなっています。だからメモリーから消すという事は、妻にとっては大きな事なのかもしれません。
以前と変わらず1日に3千円は渡しているのですが、一日おきの米代を払わなくて済むので、私の出費感はかなり和らぎましたし、それに過食嘔吐を見なくてすむ事は、私が精神的に楽になりました。今は拒食の方に大きく振り子がふれていますが、そのうちまた過食に戻るでしょうし、今の状態をあまり大きく考えていません。
私は過食に費やすお金さえ守れたらいいと思っている気がします。過食嘔吐の姿さえ見なければ、妻が何をしてても気にしない、と思っている気がします。たとえ拒食で今以上に痩せ細っていっても、私の危機意識はもしかしたら芽生えないかもしれないと、恐ろしくも思います。
しかし、もしかしたら過食や拒食側に振れた振り子が、これを期に正常に戻るかもしれないと願うのは、あまりにも大きな期待をかけすぎだと、自重に自重を重ねるのですが、やはり「万に一つの確率でも・・・」とかすかな期待もしてしまいます。
日々変わらない退廃的な生活の中で、過食の衝動を無理やりに抑えて我慢しているのではなく、自然に強迫的な過食の思いが和らいだ事、その代わりに拒食ではありますが、まったく食べないのではありませんし、妻の症状がガラリと変わったのでしばらくは観察するつもりでいます。
それよりも大事なのは、私たち二人の食事の献立が増えたり、ゴミ出しをしたり、掃除機をかけたりと身の回りのことに気を配り始めた事です。挙げると他にも色々あるのですが、ただ単に過食嘔吐をやめようとする試みよりも、生活全体が変わりつつあることは、過食嘔吐がどうかなることより大切だと思います。
しかし生活全体にわたる過活動は拒食症の特徴ともいえます。自然な生活動作ではなく、妻の周りには落ち着きなくバタバタしている雰囲気が付きまとっています。拒食と過食の間をこれからも行ったり来たりするだろうと思いますが、徐々に振れ幅が小さくなっていくだろう、そして食に対する認識が正常になっていくのではないかと思っています。
今までの躁状態でしたら、過食も派手になり、それに加えて外遊びも増えるのでお金もかかります。本当に毎日々々「誰に会いに行く、○○子ちゃんと食事に行く」と言い、小遣いをねだって出かけていきます。月に数回なら小遣いを渡してもいいのですが、あまりにも数が増えるとおねだりに釘を刺します。
それに対して妻はすっかり凹んで黙り込んでしまうのですが、妻の言うとおりにお金を使うと月末まで生活費が持ちません。ただそれだけの事です。妻に意地悪したいのではありません。しかし、妻の凹んだ姿を見ていると、私が悪いことしたような気分になってきます。
妻の凹んだ姿を見るのが辛いのではなく、私が言われのない罪悪感を抱かされるのが嫌で、ついついお金を渡してしまう事があります。それでなくても現状、家賃と公共料金を払った残り全ては、妻に費やし、妻の口に入り吐瀉物はトイレに流れていきます。
今回の躁では過食が止んでいるのですが、それは今までにも数回ありました。過去の数回では結婚した時や引っ越した時など、外的環境の変化が妻をそうさせた時ばかりでした。今回は過食が止むと言ったような穏やかな状態ではありません。拒食症に陥ったかのようにも見えます。今回は外的な環境の変化はありませんし、何がきっかけか判りません。
今回もお金に関しては妻に言い聞かせ、強い目に釘を刺した事がありますが、それはむしろ妻が常々気にしているお金の事を殊更に説教したので、いつものように妻を凹ませただけでした。妻が自分の意志で過食をやめているのではなさそうです。過食したい気持ちが我慢できないほど大きくなったり、辛抱できる程度だったりするみたいです。
しかし時として私の目には、説教した私への当て付けで拒食によって私を困らせようとしているのか?友達と遊ぶお金のために過食をやめているのか?いつまでたっても無関心な私を本気で振り向かせる為に食を絶ったのか?などと妻の気持ちが汚く見えてなりません。
「食欲がなくて困ったもんだ。少しだけなら食べられるけど結局吐いちゃうし。」と妻本人が言っているように、食べたくても食べられないようでもあります。今までの妻は一時的にしろ拒食に陥った時はありましたが、本当に短い期間でしたし、今ほど食べない時期はありませんでした。
過食が止んだうえに、私がいないと食事を摂らずに野菜ジュースを飲んでいるだけと言います。私がいると一緒に食事をするのですが、ご飯とカロリーが高いものは口にしません。食事の後にはやはり吐くので一層やせてきました。今はたぶん30kgくらいだと思います。
ある本にシベリア抑留された捕虜の体型について、その特徴が書かれていたのですが、妻の体がその通りになっています。妻の嘔吐は胃洗浄に等しいくらい、大量の水を飲んで吐き出します。それを何度も繰り返すので、何も食べてないのと同じなのかもしれません。妻の体型が物語る病状は拒食症そのものです。たとえ吐かないとしても、今の食事量では基礎代謝に必要な量すら摂っていないでしょう。
妻の幼馴染じみで仲良しだったA子という友達の話になりますが、実は長年妻の善意をむさぼって、妻は都合のいいように利用されてきた事に気がついたと話してくれました。特にA子の結婚式で妻はスピーチをしたそうですが、その後のお礼も挨拶もなかったし、新婚旅行のお土産すら持ってこなかった。そもそもA子の結婚を祝う気などなく、スピーチも嫌々ながら引き受けたような節があったので、その後のA子の礼儀のなさが一層気に食わなかったようです。その事が妻の内に引っかかって思い出すたびに腹立たしくなるそうです。
結婚式の一件だけを聞くとA子の配慮のなさよりも、妻の恩着せがましさを感じるのですが、二人が幼い時から与える側は妻で、貰う側はA子だった関係が、結婚式の些細なことでも妻にとっては決定的な亀裂になったしまったようです。我慢の限界に来たのだろうと思います。
妻の携帯メモリーからA子の番号を消したと聞きました。それも今回の拒食と躁を起こした何かのきっかけになったようにも思えます。元来、妻は人を切り捨てる事ができない性格で、それ故に気苦労が人一倍多く、それが病気の原因にもなっています。だからメモリーから消すという事は、妻にとっては大きな事なのかもしれません。
以前と変わらず1日に3千円は渡しているのですが、一日おきの米代を払わなくて済むので、私の出費感はかなり和らぎましたし、それに過食嘔吐を見なくてすむ事は、私が精神的に楽になりました。今は拒食の方に大きく振り子がふれていますが、そのうちまた過食に戻るでしょうし、今の状態をあまり大きく考えていません。
私は過食に費やすお金さえ守れたらいいと思っている気がします。過食嘔吐の姿さえ見なければ、妻が何をしてても気にしない、と思っている気がします。たとえ拒食で今以上に痩せ細っていっても、私の危機意識はもしかしたら芽生えないかもしれないと、恐ろしくも思います。
しかし、もしかしたら過食や拒食側に振れた振り子が、これを期に正常に戻るかもしれないと願うのは、あまりにも大きな期待をかけすぎだと、自重に自重を重ねるのですが、やはり「万に一つの確率でも・・・」とかすかな期待もしてしまいます。
日々変わらない退廃的な生活の中で、過食の衝動を無理やりに抑えて我慢しているのではなく、自然に強迫的な過食の思いが和らいだ事、その代わりに拒食ではありますが、まったく食べないのではありませんし、妻の症状がガラリと変わったのでしばらくは観察するつもりでいます。
それよりも大事なのは、私たち二人の食事の献立が増えたり、ゴミ出しをしたり、掃除機をかけたりと身の回りのことに気を配り始めた事です。挙げると他にも色々あるのですが、ただ単に過食嘔吐をやめようとする試みよりも、生活全体が変わりつつあることは、過食嘔吐がどうかなることより大切だと思います。
しかし生活全体にわたる過活動は拒食症の特徴ともいえます。自然な生活動作ではなく、妻の周りには落ち着きなくバタバタしている雰囲気が付きまとっています。拒食と過食の間をこれからも行ったり来たりするだろうと思いますが、徐々に振れ幅が小さくなっていくだろう、そして食に対する認識が正常になっていくのではないかと思っています。




