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<title>妻が教えてくれた事　摂食障害から学んだ事</title>
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<description>摂食障害の女性と結婚し、DV・モラルハラスメント・別居・度重なる引越しを経てきましたが、 いまだにこの病気が何なのか判りません。 共感って何でしょう？受容って出来るのでしょうか？</description>
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<title>優しさは枯れる</title>
<description> 　過去に親切にしてくれた思い出や、親から受けたやさしさ、親友があれこれと世話を焼いてくれた経験。ありとあらゆる人からいろいろな思いや愛情を受けて成長していき、それがたくさんあればあるほど大きな優しさを発揮できる様に思います。言ってみれば今までに触れ合った気持ちの大きさ、気持ちの多さが人の限界つまり器の大きさを決めるようにも思います。　恨みは憎しみはその感情を使えば使うほど増えていくのに、優しさは使
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<![CDATA[ 　過去に親切にしてくれた思い出や、親から受けたやさしさ、親友があれこれと世話を焼いてくれた経験。ありとあらゆる人からいろいろな思いや愛情を受けて成長していき、それがたくさんあればあるほど大きな優しさを発揮できる様に思います。言ってみれば今までに触れ合った気持ちの大きさ、気持ちの多さが人の限界つまり器の大きさを決めるようにも思います。<br /><br />　恨みは憎しみはその感情を使えば使うほど増えていくのに、優しさは使えば使うほど減ってしまうのでしょうか。しかも伸びきったゴムが突然切れるように、優しさがゼロになるときは突然やってきます。優しさとは力であり、人それぞれ持っている力には差があります。摂食障害にしろうつ病にしろ、ありとあらゆる対人支援と言うのは、優しさの消耗戦のようにも思えてきます。もちろん消耗するだけではなく、ためていくこともあるのですが、自分の持っている力をどれだけ駆使し注ぐことができるか。使った分だけ減ってしまう。減ってしまった分はまた潤せばいいのですが、究極的に完全に空っぽになってしまったら、また潤せばいいなどと言う話ではなくなります。今まで支援する人だったのに支援される人になってしまいます。<br /><br />　乾ききった砂漠の砂に一滴ずつしずくが落ちて、水たまりになるまでにどれだけの時間が掛かるか。いろんな人が何度も何度も補充を繰り返して人を潤していく。どれだけ時間が掛かるかどれだけの優しさがいるのか、全く判りませんけど力を優しさを注ぎ続けるには、一人に蓄えられている全ての力でも到底足りないときもあります。たいていはなぜか一人を潤すのに一人の力ではたりません。私の優しさを貴方にそっくりそのまま差し上げても、貴方に差し上げた時にはなぜか足りていません。質量保存の法則はここでは成り立ちません。<br /><br />　私は今まで自分の暮らしの中で、一人で乗り越えることを何かしらの美徳としてきました。努力して己に克ち困難を乗り越えることが私の人生のやりがいでしたし、全てにおいてそうでした。自分を努力家だと称するのではないけども、たぶん自負心すらもあります。妻の病気でもそれはおなじで、孤立無援などと思いながらも人の助けや言葉を無視しているのが実際です。無視と言うよりも「余計な事を言うな。知らんくせに。」と邪魔に思うときがあります。だから妻にも入院はさせないし（通院はしています）カウンセリングも受けさせない。これには経済的な理由が第一にあるのだけど、私の気持ちの幾らかは病院やカウンセラーが助けになるのではなく「私が助ける」その思いは否定できません。<br /><br />　これは私自身の力を錯覚しているのではないかと思います。なんかねぇ・・・、もっとできるはずって思ってしまうんですよ。人に助けを求めることが負ける事な気がして。自分はもっと出来る奴になりたいって思うから、適当にヘルプ信号を出すことが出来なくなるんです。やっぱり強くなるには厳しい環境に身をおいてこそだと思うし、ここぞと言う時には力を出し切らなくてはなりません。それが今なのではないかとも思います。<br /><br />　苦しんでもがいてこそ伸びるもんだと思うし、そんなボロボロになってもへらへら笑っているくらいに強くなりたいって。それが自分のこだわりなんだろうと思います。これを手放すとたぶん自分は生きる力も失うんじゃないかな？って思います。死んでしまうとかそんな極端ではないけど、生きる張り合いをなくしてしまうというか、目的がなくなってしまいそうです。<br /><br />　でもこのこだわりがそろそろ不都合になってきている気もします。少しは融通を利かすことを学ぶ時期が来ているのかもしれません。自分を律する気持ちが強いのはいい事だろうけど、いくら良いことだといっても、物事には全て中庸と言うのがあるのが常だし、やっぱり何事でも没頭してしまうと視野も狭くなるし気持ちが硬くなる。硬くなった気持ちからは、私が一番に望む「尽きない優しさ」は出てこなくなりそうです。尽きないと言っても、与えられないと与えることも出来ないし、やはり人の優しさに触れ合うことじゃないかな？と思います。<br /><br />　<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%C8%C2%B2" class="tagword">家族</a>介護で問題になる虐待や<a href="http://blog.fc2.com/tag/%C9%D7%C9%D8" class="tagword">夫婦</a>間のＤＶやモラハラ、<a href="http://blog.fc2.com/tag/%BF%C6%BB%D2" class="tagword">親子</a>間の虐待もだし、この悪の渦に巻き込まれる人はほとんどが孤独で、そして人一倍優しい。私が優しいと主張するのではありませんが、優しくなりたいとは思っています。その優しさが毒牙に変わってしまうのは、優しさが枯れてしまった時。心が硬くなると人の心の硬い所しか見えなくなる。優しさを失うと人の優しさが判らなくなる。<br /><br />　これはきっと病気をしている本人にも当てはまると思います。感謝ができなくなる、憎む恨む。絶えず責めの気持ちに蝕まれる。心の病の本当に恐ろしい事は家に引きこもってしまう事でなく、痩せていないと不安で仕方がないことでもなく、まして大量に食べて吐き出す事にもありません。人の気持ちが判らなくなってしまう事。人を気遣うことができなくなること。人を粗末に扱ってしまう事。その人とは自分自身でもあり、回りの人々でもあります。自分を守ってくれる人をどれだけ傷つけているか判らなくなってしまう事。<br /> ]]>
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<dc:subject>回復へ向けて</dc:subject>
<dc:date>2009-10-25T03:43:44+09:00</dc:date>
<dc:creator>木木木木</dc:creator>
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<title>家族介護</title>
<description> 　認知症介護実践者研修と言うのあり、その講義の中で家族介護の家族側の気持ちを語る講演会がありました。　認知症であっても親は親。妻は妻。夫は夫。認知症という病気だと割り切ることが出来ればこれほど楽なことはない。ただその気持ちを手に入れる事ができるかできないかだけの違い。そのわずかとも思える違いが雲泥の差で、無理解な周囲は無慈悲な言葉で叱咤もするし励ましもする。　ホームヘルパーに来てもらったら、自分の
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<![CDATA[ 　<a href="http://blog.fc2.com/tag/%C7%A7%C3%CE%BE%C9" class="tagword">認知症</a><a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%F0%B8%EE" class="tagword">介護</a>実践者研修と言うのあり、その講義の中で<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%C8%C2%B2" class="tagword">家族</a><a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%F0%B8%EE" class="tagword">介護</a>の<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%C8%C2%B2" class="tagword">家族</a>側の気持ちを語る講演会がありました。<br /><br />　<a href="http://blog.fc2.com/tag/%C7%A7%C3%CE%BE%C9" class="tagword">認知症</a>であっても親は親。妻は妻。夫は夫。<a href="http://blog.fc2.com/tag/%C7%A7%C3%CE%BE%C9" class="tagword">認知症</a>という病気だと割り切ることが出来ればこれほど楽なことはない。ただその気持ちを手に入れる事ができるかできないかだけの違い。そのわずかとも思える違いが雲泥の差で、無理解な周囲は無慈悲な言葉で叱咤もするし励ましもする。<br /><br />　ホームヘルパーに来てもらったら、自分のやり方が悪いといろいろ指摘される。貴方にとっては仕事で<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%F0%B8%EE" class="tagword">介護</a>の相手はお客さん。私にとっては仕事ではなく<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%F0%B8%EE" class="tagword">介護</a>の相手は母親。どんどんと追い詰められていく。<br /><br />　嫌ならやめたらの話ではない。何をどうすればいいの話でもはない。ただ先の見えない闇が苦しい。気持ちの余裕がなくなった時の苛立ちが自分の心にも突き刺さる。もう死んでしまいたい。殺してしまいたい。叩いたことなど数え切れないくらい。母親の首に手をかけたこともある。その手に力を込めたこともある。でもあと少しと言うところで力を抜いてしまった。母親と一緒に電車に飛び込もうとした時もあった。でも鳴り響く警笛に圧倒されできなかった。<br /><br />　私の思いと一緒でした。摂食障害と言う病気だと割り切れるならば、そんな世界は天国にいるような気持ちだろう。<br /><br />　そんな事は気持ちしだいだ。精神障害だと知ってて結婚したんだから。奥さんを愛してないのですか？奥さんは病気なのです。どうしようもないのです。まずそこを判ってあげてください。自分が誤っていると思うなら変わっていけるはず。貴方のほうが病気だ。まず自分がどうありたいのかを考えて。いっそ離婚したら。何が正しいかを判っているならば実行できるはずですよね。貴方が奥さんの病気を悪化させている。<br /><br />　いろんな事を言われました。すべてその通りです。図星っていつも大当たりなんです。その度に、そうか悪いのは自分だ・・・と傷つき反省しました。<br /><br />　悪いのは自分。悪い自分はダメ。ダメな自分は価値なし。<br /><br />　病気が治ってくれたら。妻から病気から自分もいろいろ学び伸びていけたら。<br /><br />　でもそんな事を願っても自分が悪い。悪い自分は意味なし。<br /><br />　今まで苦言をくれた人も悪意の無いことは充分にわかっています。皆さん正しいことしか言ってないのですから。皆さんはたくさん苦労して培ってきた知恵の中から仰っていることですから、私は否定しません。皆さんの仰ることは本当にその通りです。私にそれを受け入れるだけの空きがないのです。<br /><br />　講演してくれた人はこう言っていました。<br /><br />　－－－－まず<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%F0%B8%EE" class="tagword">介護</a>に向き合っているだけでも立派です、それだけで充分に優しい人なのです。叩いたことなんて誰でもあります。私もやりました。嫌になって死にたくなる事や殺したくなる事もあって当然です。<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%F0%B8%EE" class="tagword">介護</a>が苦で自殺、殺人を犯す人が年々増えています。踏みとどまっているだけでも充分に生きる強さのある人です。心情を吐露することは恥ずかしいことではありません。誇りを持って吐き出してください。その吐き出しを聞いて勇気を持てる人もいます。<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%F0%B8%EE" class="tagword">介護</a>の苦労は想像を絶します。上手くできなくても貴方の価値を下げるものではありません。大変な思いをしてきたからこそ、逆に価値が上がるはずです。－－－－<br /><br />　などなど。仕事の関係で参加した講演会なのですが、私事と重なってしまい涙が流れました。<br /> ]]>
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<dc:subject>出会いから今まで</dc:subject>
<dc:date>2009-10-21T04:31:32+09:00</dc:date>
<dc:creator>木木木木</dc:creator>
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<title>「どうせ」と思うから嫌になってくるのか？</title>
<description> 　過食嘔吐を見ていると「どうせ言っても通じない」と諦めさせられることが多くある。食事の直前にコンビニ弁当を買ってくるとか、食べる時の行儀が悪いとか、トイレの使用後が汚いとか、生活全般に不潔感があるとか。コンビニ弁当を食べたからと言って夕食を食べないのではない。一日三度の食事はちゃんと食べている。　私が休みの日は私が張り切って私が夕食を作るけど、それはただお腹の中にかき込んで吐き出す食事ではなく、五
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<![CDATA[ 　<a href="http://blog.fc2.com/tag/%B2%E1%BF%A9%D3%D2%C5%C7" class="tagword">過食嘔吐</a>を見ていると「どうせ言っても通じない」と諦めさせられることが多くある。食事の直前にコンビニ弁当を買ってくるとか、食べる時の行儀が悪いとか、トイレの使用後が汚いとか、生活全般に不潔感があるとか。コンビニ弁当を食べたからと言って夕食を食べないのではない。一日三度の食事はちゃんと食べている。<br /><br />　私が休みの日は私が張り切って私が夕食を作るけど、それはただお腹の中にかき込んで吐き出す食事ではなく、五感で味わう食事をして欲しいと思うから。でも、どれだけ手間を掛けて作っても吐き出して、ラーメンのどんぶりに炊飯器のご飯を全て入れて、漬物を汁ごとかけて犬食い＆一気食い。そして吐き出す。時にこの光景に気分がしおれてしまう。<br /><br />　しかしそんな事を思うのは私の間違いかな？と思う時もある。結局は「私の作った料理」という気持ちが大きいために恩着せがましくなっているだけかもしれない。私が張り切って豪華に作ることが妻にとっては気が重いのだろうとも思う。<br /><br />　「お里が知れる」と言われるように、食事の行儀でその育った家庭や躾の程がわかるという意味だろうか？「親に教えられなかったのか？」と思うことも多くある。自分で茶碗と箸を持って食べるようになる年齢になれば、教えられる事であろうと思うことができない。たぶん三歳から五歳くらい、小学生になるまでにはある程度は教えられて、できるようになるだろうと思うこと、その時期にそれらの事が躾けられていないのかと疑問に思う。いくら<a href="http://blog.fc2.com/tag/%C9%D7%C9%D8" class="tagword">夫婦</a>になった間柄とは言え、そんな食事をしている事を恥ずかしくないのか？とも思う。<br /><br />　思っているとは思う。自分のやっていることが嫌でたまらないと思う。だから苦しんでいるのだろうと思う。ちゃんと躾けられたとも思う。ちゃんとできた事ができなくなっているのだろうと思う。しかし、時にはそんな共感的理解ができなくなるときがある。善意の目で見られなくなるときがある。私の苦しみはこれに尽きる。判ってやりたい受け入れたい、できる時もあるができない時の方が圧倒的に多い。<br /><br />　食行動とはその人だけでなく、その家庭や親のことまでも想起させるくらい、もちろんそれだけで人やそのバックグラウンドを判断してはいけないが、人の質が見えてしまうことでもあるように思う。しかしそこまで食行動にこだわっている私が変なのかとさえ疑わしくなってくるくらいに自分の価値感や美徳とする事が揺らいでくる。<br /><br />　トイレも綺麗になりさえすればいいのだと思い直せば誰が掃除をやってもいいことだし、不潔であってもそれは妻の事だから、私は自分自身を身奇麗にしていればそれでいいだけ。家の中が不潔ならば私のできる範囲で清潔にすればいいだけのこと。<br /><br />　要はそれだけの事。しかしそれで納得できないから気持ちがやられてくる。<br /><br />　言葉も違う、文化も習慣も違うどこかよその国の人のように、私が当然と思うことがその人には非常識だと思うくらいに大きな隔たりを感じる。私が赤に見える物がその人には青に見えるくらいの違いがあるのだろうか？とか思えるときもある。<br /><br />　日常の小さなことだけども、それらに憤りを感じているのが嫌になってくるし、その度に小言を言うのもウンザリだから、何も口出ししないことの方が多くなっている。その度に思うのが「いっても判ってくれない」という諦めの気持ち。<br /><br />　言った瞬間はいいのだけど、すぐに言うんじゃなかったと後悔する。言ったところで妻の反応はいつも同じ。返事もせずに沈黙するだけ。「聞いてる？返事くらいしたら？」と問い詰めたら、判ってる、ごめんなさい、または「うん」の一言。そして布団にもぐりこんで無視。<br /><br />　苦言は一切受け付けません、みたいな態度と雰囲気を漂わせている。それでもいいとも思う。こちらも言うことは言う。ダメなことはダメと言う。聞き入れるか入れないかは相手の判断。その頑固さが自分自身を苦しめている事に気が付けばいいだけ。<br /><br />　そんな風に自分を正当化する気持ちもあるが、その思いよりも強く私の内側に留まっているのが、細かい事に憤って不愉快になっている自分が嫌いで仕方ない。人の欠点を粗さがしするかのように、次々と見つけては機嫌が悪くなっている。些細なことに口出ししたくて仕方ないけど、そんな自分が嫌になってくるので黙っている。ただ口うるさいだけなのか。<br /><br />　私はこんなにも小さい人間か。もっと大らかに寛容になりたいが、これは私自身の人間性の成長に伴うものだと思う。私の妻への意識が変わると<a href="http://blog.fc2.com/tag/%C0%DD%BF%A9%BE%E3%B3%B2" class="tagword">摂食障害</a>も変化していく事は間違いない。たぶん。<br /> ]]>
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<dc:subject>回復へ向けて</dc:subject>
<dc:date>2009-09-29T23:37:11+09:00</dc:date>
<dc:creator>木木木木</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>私の食行動</title>
<description> 　昔、私の食事はガツガツしていた。腹いっぱいに詰め込まないと気がすまなかった。育ち盛りといえばそうだったかもしれない。ラーメンを食べに行っても唐辛子を目一杯入れて、テーブルに配られたネギも全部入れてた。おいしく食べていたけど、味わう食事とはかけ離れていた。外食はいつも腹いっぱいになる食べ物だった。だからバイキングとか牛丼、ラーメン屋だった。　友人たちと連れ立って店に行き、何でも大盛りを頼んで腹の中
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<![CDATA[ 　昔、私の食事はガツガツしていた。腹いっぱいに詰め込まないと気がすまなかった。育ち盛りといえばそうだったかもしれない。ラーメンを食べに行っても唐辛子を目一杯入れて、テーブルに配られたネギも全部入れてた。おいしく食べていたけど、味わう食事とはかけ離れていた。外食はいつも腹いっぱいになる食べ物だった。だからバイキングとか牛丼、ラーメン屋だった。<br /><br />　友人たちと連れ立って店に行き、何でも大盛りを頼んで腹の中に詰め込むように食べ尽くした。その後は必ず腹をこわしトイレに何度も駆け込んだ。今になって振り返ると下剤乱用の過食嘔吐のような食事に思える。体重へのこだわりも何もなかったけど、外食すると必ずそんな風だったが、しかし家での食事は外食のそれと比べると信じられないくらいの少食だった。<br /><br />　当時の友達で食の細い上品な人がいたけど、その人の落ち着きがイラつくときもあったし、ノリが悪いと思ったことが何度もあった。友人の上品さが鼻についた。逆に私がいつもガツガツしていたので、卑しく思われていたのだろうと今になって思う。<br /><br />　そのときの私は空腹だから思いっきり食べるのが当然と思っていたし、友人のように普通の量を普通に食べようとは思ってもいなかった。今の私が考えるような、“貪るような食事の仕方は精神的な何かの枯渇を象徴する”とかはまったく想像もしなかったし、仮にそんな事を言われても頷くどころか、何のことかさっぱりわからなかったと思う。そんなわけの判らない事を言う人がそばにいたら反発すらしたかもしれない。当時の自分に精神的な何かが枯渇していたかどうかもわからない。<br /><br />　母からは「ヤケクソみたいな食べ方で食べ物に八つ当たりしているようだ」といわれた。もちろん私は自分のやっていることを八つ当たりともヤケクソとも思わなかった。人が何を言おうが私のやり方で思いっきり食べたいだけだった。私なりに食を楽しんではいたのだけど、その行動には怒っているような感情が見えたのかもしれない。<br /><br />　当時の私はのんびりした人と思われていた節があるけども、それは穏やかな振りをしていただけで、内面は結構いろんな事にイライラしていた。特定の人にカチンと来る事がよくあって、何らかの関係で自分より下だと見なした人に対しては言葉使いが荒くなった。「あいつに対して言葉がキツくないか？」と諌められた事もあった。今よりはずっと棘のある性格だったし、自己主張が強かった。自分が正しいと錯覚していたし傲慢だった。若さゆえの・・・行いだったろうと感じる。今でもそんなに変わってはいないだろう。<br /><br />　いつでもガツガツしていた姿にうんざりしていた人は少なからずいた。付き合いのあった女性はそう思っていた節がある。外食は安くて量のあるところばかりだったし、私と食事をすると落ち着かないと言われたことがあるし、ラーメンと牛丼ばかりといわれたこともある。しかし私は相手に合わせようと思ったことはなかった。私の食べたいものはこれ、と主張することしか頭になかった。自分に合わせない相手が悪い、私の食べるのが早いのではなく相手の食べるのが遅いとさえ思っていた。自分自身がガツガツしているとも思っていなかった。<br /><br />　私は私のスタイルで、あなたは貴方でどうぞ。これが私の考え方で今でも変わっていない。自他の分離がはっきりしすぎている。私はそれでよくても周りはそうは思っていない。時には迷惑すらしているときもあると思う。私に調子を合わせて、私の都合がいいようにしてくれている人が大勢いるような気がする。<br /><br />　最近になってそんな事をふと思った。ガツガツの食事をしていたのは二十歳前後の頃。十五年から二十年近く時が過ぎてようやく気が付いた。自分の行いに気が付くにはこんなにも時間が必要なのかと驚く反面、今の行いの愚かさに気が付くのは・・・十五年から二十年後。五十歳を過ぎてからなのか・・・。<br /> ]]>
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<dc:subject>私について</dc:subject>
<dc:date>2009-09-21T00:25:55+09:00</dc:date>
<dc:creator>木木木木</dc:creator>
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<title>生かされているなんて感じるのは可笑しいかも知れないけど</title>
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<![CDATA[ 　周りの環境に生かされている。と感じることが多くなったのはなぜか判りませんが、機嫌のいいときも悪いときも周りからの影響でそうなっているのだろうし、逆境に立ち向かえる力があるときもそれは自分の力なのではなく、過去の誰かの励ましとか、現在の何かか誰かから力が与えられて、自分が立ち向かえる力を発揮できるのであって、無の状態でまったくの自分の力だけで何かができるなんて事はおそらくないだろうと思います。<br /><br />　受験勉強していたときの事をよく思い出すのですが、自分の努力で志望校に合格したのは、勉強だけをしていたらよい生活があって、食うも寝るも誰かの世話になる事を許されて、予備校に通えるだけの環境があったから努力ができた。<br /><br />　誰がその生活を与えてくれたか。言うまでもない。<br /><br />　今の私の生活。妻の摂食障害。へこむ事、いらいらする事、あきらめたくなる事、投げ出したくなる事、色々ありますが、そんなときの自分を何とか支えてくれている人がいるのも事実です。<br /><br />　気分が大らかになれる時、笑ってすごせる時、もうダメと思っていたことを「もう一度」と考え直すことができた時、そういう気分にさせてくれた「何か」の存在が必ずあります。<br /><br />　自分の力でできること。そんなもんあるのか。<br /> ]]>
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<dc:subject>ちょっと余談</dc:subject>
<dc:date>2009-09-14T22:42:43+09:00</dc:date>
<dc:creator>木木木木</dc:creator>
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