2008-05-30

裁きの基準−−善悪・優劣・賢愚・善悪・強弱

 妻は元彼Aから受けた受けた強姦に耐えうる精神的な強さがなかった、と言えばそうかも知れません。その出来事からもうすぐ10年が経ち、いまだ摂食障害や心の傷からの回復には向かっている様子がない事を考えると、確かに精神的な脆さがあると言えば、そうなってしまうかも知れません。

 私は妻の弱さを罵り見下し、その弱さから生まれた不幸の数々に巻き込まれて妻を恨み、妻を『人より劣っている』、私自身を『それでも頑張っている優秀な人』だと見なしています。

 母親と娘が一体となってお互いに自立ができてないとか、父親に『父親としての力』がないとか、思うことは色々あります。よくある機能不全家族の典型的パターンかもしれません。しかし、ある精神科医の唱える分析よりも大切なものがあり、私はそれに気がついていませんでした。今さらながらに愚かだったと思います。しかし私は今でもこれからも愚かでい続けると思います。

 私のしてきた事は自分の親との比較であり、それも世の中に何億とある家族の内で、たった一例である自分の両親との単純な比較であり、その私の考えに学者の権威をくっつけて正論にしたただけの事です。

 まして自分の親と言うのは、たとえ嫌な事があったとしても、押しなべて『良い存在』であり、それと比べたら妻の親が悪くなるのは概ね当然となります。

 しかし妻にすれば自分の両親が『良い存在』でしょうし、私が単に偏見を持っているだけでしかありません。

 しかし私は妻とその家族を、善悪と優劣や賢愚、善悪、強弱−−−いくらでも出てきますが−−−で裁いてきました。

 私の父は大きな企業に勤めていたから優で、妻の父は職を転々とした末に家業を継ぎ、近頃は右肩下がりなので劣でした。私の母はワープロ(当時はそれしかなかった)を習いパートに出て、自宅では珠算塾を営み200人近い生徒を抱えて、一時は父よりも多い収入があったから賢で、妻の母はこれと言った特技がなく、家事と家業に埋もれて生き生きとした姿がないので愚でした。

 その他にも色々と思いついては比較を繰り返し、私の側は常に善であり優であり賢でした。妻の側は言うまでもありません。

 しかし私が強くて優れていて賢くて善である証しはどこにもありません。

 人を裁いて見下して蹴落とす行いのどこが、強くて優れて賢くて善良でしょうか。そんなことすら判らず今まで生きてしました、これからも『判っているつもり』を振る舞い、実は判らないまま生きていくのだと思います。

tag : 摂食障害 過食 嘔吐 夫婦 内観 父親 母親

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